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『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)
舞台挨拶付き特別試写会(大阪)

2020-02-12 更新

佐藤浩市、火野正平

Fukushima 50fukushima50 配給:松竹、KADOKAWA
2020.3.6公開
© 2020『Fukushima 50』製作委員会

 映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)が、2020年3月6日(金)に全国公開となる。この度、佐藤浩市、火野正平が大阪のなんばパークスシネマにて行われた特別試写会の舞台挨拶に登壇した。


 本作ではともに現場の最前線である中央制御室の同僚を演じたふたり。プライベートでも長年の付き合いで10歳以上の年の差ながら佐藤が火野のことを「しょうへいちゃんと呼んでます(笑)」と明かすなど、終始ふたりの仲の良さがにじみでた舞台挨拶となった。

 今から25年前の1995年に阪神淡路大震災を経験している関西の観客に本作を観てもらった心境を聞かれ佐藤は「まずこの作品の一般試写会が行われたのは福島でした。この映画の中には津波・地震のリアルなシーンが多々入っております。そうした映像を観ていただくことは緊張感もあり、正直怖い気持ちがあります。ただそれを皆さんに踏ん張って観ていただくことで明日に繋がる作品だと思います。阪神淡路大震災で被災された方々、それを生々しく記憶されている方々にも本作をよろしくお願いいたしますと伝えたいです」と本作の活動を通して伝えてきたメッセージを送った。


fukushima50

 火野は「震災当時は外にいて、TVのニュースでこれはまずいことになっていると思っていても、実際に何が起きているかは分からなかったんです。それでもこの映画を観ることにより原発内で起きていることが分かってもらえる映画だと思います」とコメントした。

 次に本作に出演することを決める上で考えたことを聞かれた佐藤は「正直、題材としてもまだ早いんじゃないか、危ないんじゃないかと思いました。それでも監督からこの映画は最前線にいた職員を中心に描きたいという思いを告げられて、そういうことなら最後まで一緒に走ろうと決めました」と本作に出演するにあたって若松監督のとのやり取りを語った。それに対して、火野は「この映画を作っていいのかなと思いました。俺たちが演じた方々は現場から逃げることができないのなら、そこで闘おうという思いで現場にいたと思います」とコメントした。


fukushima50

 そして本作では、実際に演じている役者たちがどんどんやつれていく様子が描かれていることに触れられ佐藤は「この作品は順撮りで撮影を進めていて、5日間の出来事を時系列に沿って撮影していきました。そうするとみんなの顔もどんどん変わっていくんですよ。この作品的にはそれがとても良かったと思います」と日に日に過酷さを増す現場のリアルな様子を描けているとコメントすると、火野は「3週間くらい、同じセットにたくさんの男がいて、そんなむさ苦しいところにいたらやつれていきますよ(笑)」とコメントし、「それはあなただけだよ!」と佐藤がつっこむという一幕もあった。


fukushima50

 続けて火野は「防護服・マスクを被って原発内を走るのは本当に俺じゃなきゃダメなのかなと思いました。撮影の最終日に気づいたんですけど、最初から横に吹き替えの人が待機していたんですよ(笑)。最後まで自分でやりましたよ」と過酷な撮影の裏を語った。暗闇の中での撮影を佐藤は「物語の中盤から防護服を着るので台詞も明瞭に聞こえないんです。専門用語も飛び交いますし、そうした製作スタッフがマイナス要素と思っていたものが、実際とてもリアルさを持っていて、表情が分からなくても、それが何か分かるようになるんですよ。台詞の不明瞭さも妙にリアルに聞こえてくるんですよね。そうした意味では“映画の神様”がいたのかなと思いますね」と振り返った。

 次にMCから火野が自転車で日本全国行脚をしている話になると、火野は「自転車で全国を回っているんですけど、日本はどこに行っても被災地なんですよ。どこに行っても元被災地なんですよ。そうした国に住んでいることへの自覚と、日本人って強いな、立派だなと思います。被災して2年目に自転車で福島に行ったんですけどそうしたら現地の方が『火野さん頑張れ!』って声をかけられ、逆に応援してもらって日本人って強いな、美しいなと思いましたね」と被災してから福島を訪れた際のエピソードを披露した。古くからの付き合いである2人だが佐藤は「火野さんがこの作品に出てくれるとなった時に『この人は自転車に乗っているだけではないんだ!』と思いましたが、本作には旧知の先輩である火野さんと平田さんがいてくれたことが気持ちの面で本当に助かりました」と先輩である2人に感謝を述べた。東日本大震災当時のことを聞かれると佐藤は「撮影が終わってコンビニに立ち寄っている時で外に出ると信号機が揺れるくらいで、家族の安否をすぐ考えましたね。“あの時何していた”っていうのがキャスト、スタッフの合言葉でした」と述懐すると、火野は「ラジオ、TVを聞いていましたね。阪神淡路大震災の時は京都の撮影所から琵琶湖にいて、撮影していていいのかなと思っていましたね」と25年前に阪神淡路大震災当時のエピソードも交え語った。

 本作が73の国と地域での上映が決まっていることに対して、佐藤は「“Fukushima50”という言葉は海外のメディアがつけた言葉で、その方たちにはどう見えるのか含め、それよりもまずは日本に住む方々にどう見えるのかですよね」と海外での上映が決まっていることに対してコメントした。

 最後に火野は「とにかくたくさんの方に観ていただきたいです」と挨拶すると、佐藤は「桜は人間のために咲いているわけではないけど、人間はその刹那的な美しさに思いを馳せます。災害は深い爪痕しか残しません。そうした負の遺産を遺産としてバトンを繋ぐことが出来る映画だと思います。皆さん、よろしくお願いします」と感謝を込めて挨拶をしてイベントは盛況の内に終了した。



(オフィシャル素材提供)



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