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『シチズンフォー スノーデンの暴露』トークイベント

2016-06-13 更新

中井 圭(映画解説者)、松崎健夫(映画評論家)

シチズンフォー スノーデンの暴露citizenfour

配給:ギャガ・プラス
シアター・イメージフォーラムにて公開中ほか 全国順次ロードショー
© Praxis Films ©Laura Poitras

 第87回アカデミー賞®長編ドキュメンタリー映画賞受賞、国家による国民への監視行為を告発した“スノーデン事件”を描く緊迫のドキュメンタリー映画『シチズンフォー スノーデンの暴露』の一般試写会が行われ、映画解説者 中井圭と映画評論家 松崎健夫によるトークイベントが実施された。あらゆる映画を知り尽くす二人が、本作の独自性と作り手の意図を分析、さらにドキュメンタリーの変遷や、フィクションが現実になっていく現代の「危うさ」に至る、充実のトークイベントとなった。

 登壇した二人は「あらためて、恐ろしい映画ですね~」と顔を見合わせニヤリ。エドワード・スノーデンによる世界を駆け巡った内部告発スクープの一部始終を捉えた映像は、スパイ映画さながらの緊張感を放っている。松崎は、「今までも『大統領の陰謀』(76)や『華氏911』(04)のように、実際の事件や出来事を描いた映画はいくつもあったが、国際的に誰もが知っている事件の最中でカメラが回っているという例はこれが初めて」と評した上で、「時代性も反映されている。フィルムで撮っている時代は時間的限界があるから、ドキュメンタリー映画においてすら、撮りっぱなしというわけにいかなかった。デジタル化・機器の小型化によって何時間でも回せ、鞄に忍ばせてこっそり撮ることも可能になった。とりあえず回しとこうか、という判断ができることは大きい」と分析。中井は「エジソンが発明したキネトロープは“ブラックマリア”と呼ばれる撮影スタジオに対象物を持ち込む形式だったのに対し、シネマトグラフはカメラが現地に行って撮影することができた。次第に前者は廃れていったわけが、この差分と関連性がある」と映画史的観点からコメントした。

 「今の時代は、決定的瞬間を押さえやすくなっている」という中井の指摘に対し、松崎も「今や、映像だけでなく、“音”もそのまま使用できるレベルになった。報道番組においても、一般視聴者が携帯で撮った映像が流されていることからも明らか」と同意、「そういった映像が溢れる中で素人が撮れないものを作るためには、“スノーデン”のような題材が鍵となって来る。今後は画質うんぬんではなく、“何をとるか”がさらに重要視されていく」と述べた。

 本作でジャーナリストを務めているグレン・グリーンウォルドは、映画の中ではスノーデンと共に被写体として出演しているが、その取材内容と調査をまとめた著書「暴露 スノーデンが私に託したファイル」では当事者としてスノーデンを描いている。二人は、映画と書籍のスノーデンを描かれ方の違いについて言及。松崎は、「ローラ・ポイトラス監督は情報収集問題を発端として、戦争などのより大きな国際問題を描こうという視点を持っているのに対し、グレンは“暴露本”という体裁をとりながらも“自分がジャーナリストとして情報をどう扱っていけばいいか”という考えを述べようとしている」という点に注目。同じ物事を見つめながら描くものは変わっていくという話から、話題は“ドキュメンタリーの定義”へと流れ、中井は「ドキュメンタリーも作り物である、ということ。シーンの中に何を映すか、どこを切り取るか、という点に作り手の意向が加えられている」と結論付けた。

 松崎は「スノーデンと僕らが八日間くらい一緒にいたら、どんな人物かわかると思うけど(笑)、実際にはそうではない。この映画に限らず、どんなドキュメンタリーも、その人物の一部しか見ていないということを頭の隅に置きながら見てほしい」とアドバイス。作中、ドローンで映し出される俯瞰映像が挟み込まれているが、これも「見られている」という印象付けに一役買っていることなどを例に挙げた。ドキュメンタリーは真実のみを映すと考えてしまいがちだが、知らず知らずの内、作り手の意図や演出に誘導されているという指摘に、集まった会場も興味深く聞き入っていた。

 中井は本作に“既視感”を感じたそうで、「“市民があらゆる通信を傍受されている”というところ、あれが『ダークナイト』(08)で最後にジョーカーを追い詰めるために最終手段として使ったシステムと重なった。映画の中でも肝になっていて、フィクションの世界ですら『これが極めて恐ろしい道義に反する行為』として描かれていた。今となってはもう現実がフィクションを追い越している状況。あらゆるフィクションよりも、現実の方がスリラーでサスペンスであることを思い知る」とまとめた。

 ドキュメンタリーは今起きていることを発見し再確認するもの、フィクションはこれから起こることを予測して描くものという違いがある。松崎は1984年に作られた『1984』という映画を例に出し、「原作自体は80年以上前にジョージ・オーウェルが書いたもので、まさに現在に通じるような監視社会をテーマとした作品。作った時点で現実味はなくとも、完成して我々が観る頃には実際に何かが起こったりする。『チャイナ・シンドローム』という作品は公開からわずか12日後にスリーマイル島の原発事故が起こった。単なる“SF”と位置付けるのではなく、今生活している社会に何か反映されているんじゃないか、と考えるのも一つの見方」と解説した。

モノの価値が時代によって変容していく中で、実は今生きている時代は、情報が貨幣価値を越えるほど重要なものになっているのではないか、という意見で二人は一致。戦時下の日本ではコンピュータも電話もなかったが、“反政府ではないか”と嫌疑をかけられて縛り上げられることが行われていた。これだけ情報が高度化した社会の中では、“何かあった時”に、テロの抑止力を求める以上に恐ろしいことが我々に降りかかるのではないか――まさにスノーデンが予期した危惧を、トークショーの中でも再提示し、最後に中井は、「今後の我々の生活、人生そのものに対して、本当に“始まりの第一歩”ということを痛感させられる、恐ろしい映画」と締めくくった。



(オフィシャル素材提供)



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